国会でいわゆる安保法案が成立する前日の9月18日に、安倍晋三総理と法務省の高官、定塚誠訟務局長が会談していたものの、その会談自体の記録も、会談のために準備した資料も、全くないことが法務省への情報公開請求に対する応答で分かった。
まず、9月18日の首相動静は時事通信によれば首相官邸で「午後4時5分から同14分まで、定塚誠法務省訟務局長と」会談とある。訟務局、というと聞き慣れない部署であるが、実は平成27年の4月10日に法務省で新設された部署であり、法務省HPでその役割を見ると将来の訴訟に備えるような旨の説明がされている。
そこで、その①会談内容および②会談に備えて法務省で作成した文書を対象に、法務省へ情報公開請求したところ、下記画像の通りの返答を得た。(我が国は、全く手ぶらで準備もせずに総理大臣と会談しに行く幹部行政官がいて、会った際の記録も作らない政治文化のようである。)
なお、この件について一部の匿名ネットユーザーからは、安保法案関係の訴訟案件について話し合ったのではないかとの意見も出ていた(筆者も、おそらくそうだろうと想った)が、何のことを話したか政府に記録がないといういつも通りの展開になった。
なお、集団的自衛権の行使を巡る閣議決定に関しても、10月16日付けの毎日新聞報道によれば、決裁の文書一枚があっただけで実質的な内容はないとされており、記事の中では日本の総合大学のなかでの、インテリジェンス研究総本山(といっても良いと思える)早稲田大学の春名幹男客員教授からも、問題である旨の見解が寄せられている。
今回の訟務局長と安倍総理会談の内容は不明であるので、果たして安保法案関係のものであったかどうか自体が分からない。だが、筆者の考えとして①まずもって、何を話したかくらいは、時期が時期であるだけに記録を残しておいてもらわないとそもそも、「重要な安保法案についての議論が両者の間でなされたのかどうか」についてすら事後的に検証が出来ず②仮に安保法案の関係での会談であったならば、重要法案であったことは明白なのだから、是とする立場からも否とする立場からも現在の議論に活かせず③後々の検証材料もないということになる。
またもし、今開示してしまえばセンシティブな内容なので開示に適さないとしても、そういった内容については情報公開法5条で不開示の対象となるし、また仮に他の漏洩するのが問題であればそれこそ、近年に議論のすえ成立した特定秘密保護法などで保護するべき対象である(ろくに記録もない国なら、わざわざ保護する必要のある秘密の記録も存在し得ない)。
加えて言うと、公文書管理法は4条において「当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。」としており、その事項の中には「法令の制定又は改廃及びその経緯」が含まれる。そしてその趣旨は同法1条にある「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにする」ことである(太字部筆者)。この法律は罰則規定がないためにザル法なのであるが、定塚氏と法務省はMinistry of Justice(英訳すると「正義省」を名乗っておきながら、正義に反することこの上ない(この公文書管理法に関する論点は11月24日付け朝日新聞東京版・朝刊1面「集団的自衛権の憲法解釈変更 法制局 協議文書残さず」とした蔵前勝久記者の記事を参考に、同日付記してある。)。
以上の通り、9月18日会談の内容について記録がないことに、ろくな正当化理由がないわけである。なお最後に定塚誠訟務局長の経歴について付言すると、定塚氏は、もともと裁判官として任官されてそのあとも東京地裁の行政専門部や東京高裁へ赴任しているが、最高裁判所内部でのキャリアも長い、いわゆる「司法官僚」の典型である。
(ウィキペディアより。通常の裁判をあまり担当せずに、最高裁判所勤務歴が長いのは、最高裁判所判事になる場合の典型的人事コース。)
この流れの場合、今後のキャリアとして、再び裁判所の判事に転向することも十分に考えられる。そうすると安保法案関係の前日に、行政内部で訴訟業務の要職にあって、今後また司法機関で裁判官になり得るものが(あるいは、控えめに言って、裁判官として出世コースを歩いてきていて、裁判官のネットワークのなかにインフォーマルなつながりを強く持つ人間が)公式な記録を全く残さずに、時の首相と「ツーカー」の懇談をしていたというふうにも見えて、三権を含めた日本国の統治機構は、風通しが非常に悪いと評価できよう。
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以下、筆者と、定塚誠訟務局長に関する4年前のよもやま話になる。
じつはだが、筆者が以前、福島第一原子力発電所の事故直後に起こした3件の原発訴訟(福島第一原子力発電所設置許可処分取り消し請求事件、福島第二原子力発電所設置許可処分取り消し請求事件、東海第二原子力発電所設置許可処分取り消し請求事件)で、東海第二の担当裁判長が当時、東京地裁におられた定塚氏であった(訴訟のあらましについては、ビジネスメディア誠の書き起こし記事「日本の原子力政策を訴える――法曹家の卵が原発の行政訴訟を起こした理由」をご覧頂きたい)。
だが実は、同年にアドバイスを求めた神戸大学名誉教授(行政法)で弁護士の阿部康隆氏から「定塚さんは、気味の訴訟のことあんまりよく思ってないよ。『100キロも離れた原発を訴えるなんて、ヘンなことをするやつだ』と言ってる」との伝聞を伺って(伝聞なので真実かどうかは、それだけではわからないが、筆者は法廷でのサジェスチョンやその他の状況から真実であると判断した)、別裁判官が担当していた福島第一と福島第二の事件に、定塚氏が訴訟指揮を行う東海第二の内容が悪影響を及ぼすとまずいなと考えて取り下げた経緯がある。
その結果、2012年2月の時点では訴訟の対象が福島第一と福島第二だけになっているわけである(ビジネスメディア誠の会見書き起こし記事「“消えた原発記録”、訴訟が情報開示で果たす役割とは」を参照いただきたい )。
それにしても、世界は狭いというか(広義の)情報公開がらみで4年前にご縁のあった方の職務に関して今また情報公開請求をかけているのは、皮肉である。
【江藤貴紀】