(リニューアルされた、CIAのウェブサイト。CIA文書の「高度な検索」はこのリンク先から行うことができる。)
アメリカCIAが、従来は米国内の専用施設端末でしか閲覧できなかった内部文書が1月17日を1200万ページウェブ公開した。
その中で、筆者は昭和天皇名「hirohito」を含むトップシークレット指定文書すべてを精査したところ、いくつかの興味深い点が明らかになったのでお伝えする。例えば、1975年に昭和天皇が訪米する前年、大平正芳外相(当時)が米国と交渉するも、その事実自体を明かさぬように米政府へ要請しており、そのことが国務長官キッシンジャー宛のホワイトハウスのシチュエーションルーム(諜報と広報の担当部)が打った電報から分かる。
これを見る限り、大平正芳は、米国側と天皇の訪米時期について調整していたようだが、その事実について自分と矛盾する言明を米国政府に述べるのはよしてもらいたいという意見を述べていた(該当ファイルリンクを見ると「大平氏が「自分の発言と矛盾したことを述べてもらわないようプライベートに要請」とあるが、これは米国側と何らかの調整をしていたことを前提としないとありえない要望である。)。
この電信は1974年2月にホワイトハウスの「シチュエーションルーム」(諜報統制を担当する部署)から、国務長官であったキッシンジャーへ当てられたもので、昭和天皇の訪米に関する日米両政府の姿勢を知ることができる文書として興味深い。
さらに、近年話題の「天皇退位」が1951年に政治課題となっていた歴史を思い出させてくれる資料もある。当時は日米安保条約の締結と同時に、裕仁天皇が退位するという説があるという事実が記されている。さらに面白いのは、一部の右翼は、裕仁天皇の人間宣言が、息子の明仁(今上天皇)には関係しない、つまり天皇が交代したら再びdivine(神)になると考えているという、CIA職員のコメントだ。
(ファイルの該当箇所)
この幻となった昭和天皇退位の議論が行われた時、明仁皇太子(今上天皇)は18歳の誕生日を迎えるタイミングだった。昨年の天皇退位発言を表明する際に、彼の胸のうちにはこの65年前の思い出は当然にあったと筆者は考えている。
なお、他のソースに基づいた別角度からの分析は、筆者がコメントを寄せさせていただいた本日(1月30日)発売の週刊ポストに詳しいが端的にいうと、明仁皇太子(現・平成の今上天皇)と近い友人(close friend)であった緒方竹虎が、サンフランシスコ講和条約とともに総理に就任・・・昭和天皇は生前退位をして、吉田総理も同時期に退陣というシナリオが描かれている。
(ただしソースは緒方竹虎に近いグループの日本人から話を聞いた中国国籍の人物、とあるため緒方派が意図的に流したデマ情報だった可能性も保留して「情報価値が未確定」とCIAは記したと見られる。)
ちなみに、イギリス外務省からみた天皇退位説については詳しい先行業績があるが、両者での書きぶりの違いが興味深い(徳本栄一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』、新潮社、2007年、pp182-212)。
2月1日追記:週刊ポスト記事において編集部の方が記している通り、1月31日の国会議事録(リンク先PDF、最下部参照)を眺めると天皇退位問題の質問者はのちの総理大臣中曽根康弘だった。やや派手に言えば、昭和史オールスター戦のような一幕である。
(中曽根「・・・今日、天皇がみずから御退位あそばされることは、遺家族その他の戦争犠牲者たちに多大の感銘を与え、天皇制の道徳的基礎を確立し、天皇制を若返らせるとともに、確固不抜のものに護持するゆえんのものであると説く者もありますが、政府の見解はこの点についてはいかなるものでございましようか・・・」。
吉田 「この問題は軽々に論ずべき問題でないことは、あなたも御同感であろうと存じます。私はここに一言申しますが、長くは申しませんが、今日はりつぱな日本に再建すべきときであり、再建すべき門出にあるのであります。日本民族の愛国心の象徴であり、日本国民が心から敬愛しておる陛下が御退位というようなことがあれば、これは国の安定を害することであります。これを希望するがごとき者は、私は非国民と思うのであります。」*太字部筆者)
【江藤貴紀】